自分にとって

 

わたしにとっての「八乙女光」とは、一体どんな存在なのだろうか。

 

Jr.の頃から知っている彼を好きで居続けること十数年。1人の人をこんなにも好きだと思い続けることができるなんて自分でも思ってもいなかった。

更に、その好きという感情は年々増え、大きくもなっている。一体全体なぜ。

 

光くんに興味を持ち始めたきっかけはかっこいいから、面白いから、きっとそんなことだったと思う。しかし現在ではそんな言葉では表せない程の魅力を感じている。

わたしが光くんを好きになってから現在に至るまで、いろんなことがあった。

 

わたしは高校受験をする時、行きたい高校を受験することができなかった。それは学力が足りなかったなどの理由ではない。周辺の高校の知識をあまり持っていなかった親が周囲が持つ偏見ばかりに耳を傾けた結果、全てを否定された。受験したい旨を伝えた際、そして伝えて以降、とくに反論されることはなかった。1番の仲良しの友達と同じ高校に行けることが嬉しく、一緒に高校生活も過ごせるものだと思っていた。

しかし、恐怖はそれからにあった。シラフではその高校を受験することに関して言わなかった母親が、外で飲んで酔っ払って帰ってきたら、その高校には行くな、(他の高校名)へ行け!と言われる始末。初めは気にせず、自分が行きたい高校へ行く。そうとしか思ってなかった。だが、毎週のように飲んで帰ってくれば怒鳴り散らかすように言われる。帰って来る前に寝ていれば終わる。そう思っていても、恐怖で眠れやしないし、寝たふりをしていても起こされて言われる。本当に本当にそれがきつくて、親が行けと望む高校を受験することに決めた。

その時、唯一のわたしの支えだったのが光くんとHey!Say!JUMPだった。

 

私立はお金がかかるため、行きたくない高校でも合格するしかなかったわたしは、その高校に合格することができた。

決めたからには行くしかない、頑張ろう。

そう思っていた矢先、、

 

入学式の数日前から右目に異変を感じていたが、治るだろうと思っていた。入学式前日、新学期を迎えるならいろんな不調も治しておこう。それくらいの気持ちで眼科に行き診察を受けた。

 

結果として、私は右目が見えない。

治ることのない原因不明の病で右目の視力を失った。大きな病院を紹介され、入学式終わり診察を受け、翌日には脳の検査まで行った。高校生活初っ端から休む羽目になった。

 

頻繁に通院を重ねることになり、学校は休みがち、おかげで友達はなかなかできない。ただ、わたしは1人行動が得意なので、友達ができないことに悩まなかったことが救いだったのかもしれない。

 

手術は計3回、暇過ぎて仕方ない入院生活を支えてくれたのはHey!Say!JUMPのDVD、アイドル誌、ジャニヲタの看護師さんを含む、親切な病院スタッフの方々。

右目が見えなくなるかもしれないことで1番に浮かんだ不安が、もう今後光くんをはじめ、JUMPのみんなをきれいに見ることができないということだった。(片目と両目で見ることにさほど差はないと思われがちだが、右目は光りは感じるため、両目を開くと綺麗に見えることはない)

 

そんなこんなで、高校は卒業でき、大学にも進学できたが、自分でもびっくりするくらい高校生活の記憶がない。中学の時の方が記憶があるかもしれないと思うくらい、覚えていない。高校生活で1、2を争うくらい楽しみなイベントである修学旅行の記憶すらほとんどない。

今では笑って話せるが、それくらい私にとって高校時代が楽しくなかったのかもしれない。

そんな高校3年間だったが、JUMPのコンサートに行ったことは覚えている。初めて複数公演入ることができたこと、コンサートに行くために辛いことも頑張ると自分を奮い立たせていたこと。

 

冒頭に、年々好きという感情が大きくなっていると述べたが、それは光くんが留まることなく進化、成長し続け、どんどん魅力的な人になっているからということは間違いないと思っている。だがそれともうひとつ、光くんを好きになってからの自分の思い出に、光くんやJUMPのみんながいるからではないかと思っている。

思い出が多くなればなるほど、関係性が深まっているように感じ、愛おしくなる。きっとそんな感じだ。

 

わたしにとっての「八乙女光」とは、きっとひとことでは言い表せない、永遠のテーマのように思えた。

アイドルとして、人として、大好きな人として。

 

わたしの原動力はいつだって光くんとHey!Say!JUMPなのだ。