座右の銘を聞かれて自分の星座を答えるような人が好き。

 

わたしにとって八乙女光は唯一無二、揺るぎない不動の存在である。

彼氏にしたい人も、結婚したい人も光くん一択。それはずっと変わらない。

 

 

新型コロナウイルスの影響で、職場は休業、1ヶ月以上の自宅待機を命じられ、1週間に一度の買い出し以外、外出をしない引きこもりニート生活をしている中で変化があった。

 

光くん以外に彼氏にしたい人ができた。

 

それは、King & Princeの平野紫耀くん。とにかく顔が好き。特に最近の顔つきがとても良い。良い。

 

彼を最近知ったなんてことはない、以前から彼の存在は知っていたし、かっこいいね、くらいには思っていた。しかし、何が急にこんなに気になる存在になったのか、わたしの中でとてつもない衝撃と戸惑いだった。

 

最初の最初は顔が好きという、所謂「顔ファン」でしかなかった、紫耀くんを昔から応援してる人からすれば今もそうかもしれない。(平野担、キンプリ担からは嫌われそうごめんなさい)

でも、紫耀くんを見るにつれて、知るにつれて、どんどん気になる存在になった。気付くと検索して、これまでのアイドル誌を見返したりして。

 

でもわたしは掛け持ちができない。不器用だからだ。だからこそ、このまま紫耀くんに行ってしまう気がして、困惑した。

そして、重要なのが、光くんへの気持ちも忘れた訳ではないということ。

毎時間ひかぺを更新していないかを確認し、ムービーが添付されている時なんかは何度もリピートをする。部屋に一人でいることを良いことに、にやけを隠さない。光くんを見るとドキドキする、好き以外の感情を失う。とにかく光くんへの愛は変わらない、大好きである。

 

だからこそ、本当に本当に本当に戸惑った。光くんが大好きで仕方ない。でも急に現れた紫耀くん。

どの気持ちにも嘘はない。

 

 

光くんも紫耀くんも優しくて、人思いで、そしてちょっと(?)天然さん。でもたまに闇を抱えてそうな表情を浮かべる。

実は共通点があるように感じている、個人的に思っているだけだが。

 

この自粛期間中、思い考え悩んだ結果、出てきた答えが、

結婚したいのは光くん、でも一回付き合いたい紫耀くん。

この答えは、光くんにも紫耀くんにも失礼にあたるかもしれない。でも今の私はこれだ。

 

去年末(まだわたしが紫耀くんに興味を持つ前)から光くんと、キンプリさんの交流が見られる。今月号の某アイドル誌掲示板では紫耀くんから光くんへのメッセージがあった。そして数日前にはビデオ通話をしたとか。

我得でしかないこの交流、今後も注目していきたい。

 

2人には共通点があるように感じると上述したが、それぞれには異なった魅力があり、そこに感動し尊敬し、惹かれた。

 

 

そうしてわたしは自宅待機を終え、明日からしっかり働こうと思う。

 

平成

 

 

今日で平成が終わる。

 

平成の時代に生まれ、平成の時代しか生きたことのないわたしにとって、新しい元号になるということはなんだか不思議な気持ちになる。

 

そして、元号が変わることで最も思いを巡らせたのは、

やはり、Hey!Say!JUMPのことだった。

 

平成が終わる今日、何かを残しておきたくてこのブログを書くことにした。

 

 

平成19年、2007年9月24日から始まったグループ。

全員が平成生まれ。平成の時代を高く跳ぶ。

そんな意味が込められて作られたグループ。それがHey!Say!JUMP(全員が平成生まれという括りがあったせいで結成当時は苦しかったなぁ、、)

 

 

グループ誕生から十数年で平成が終わるなんて誰しもが思っていなかった気がする。

JUMP担をしていると必ず言われたであろう言葉

「平成が終わったらどうなるの?」

Hey!Say!JUMPができた頃から何度も言われてきたが、天皇陛下が退位されることが決まってからは、輪をかけて言われるようになった。

 

平成が終わってもHey!Say!JUMPは変わらんよ!!!

平成をジャンプするんだよ!!!

 

平成が終わるにあたって、Hey!Say!JUMPがいろんな媒体で取り上げられることが増えた。

通常であれば元号が変わることをこんなに明るく取り上げられることはまずない。

しかし、平成代表として様々な場に呼んでいただけるのは、「平成」という時代が退位という形で終えていくからである。

 

まさに、

改元の特需を逃すつもりはありません」by薮宏太

 

偶然なのか、必然なのか、はたまた時効とみなされたのか、様々な場面で懐古厨にとってエモエモ案件もあった。(はっしーがJUMP結成当時を語る、雑誌でJ.J.Ya-Ya-yahを語る、浅香くんとJUMPが同じ雑誌に、太陽くんと龍ちゃんツーショットetc.)

結成当時いろんな場所でたくさんの人がたくさんのいろんな想いを抱えたなかで誕生したグループ。

だからこそ、全ての人がいま、しあわせであることを願う。

 

平成の時代に生まれ生き、Hey!Say!JUMPに出会えたこと、JUMPを通してたくさんの仲間に出会えたことどれもすべてが宝物である。

 

生まれてきてくれてサンキュー!ずっとずっとずっと一緒にこれからも歩いてね。

 

 

ありがとう平成。

令和でもさらに飛躍できますように。

 

平成31年4月30日

 

 

 

 

 

自分にとって

 

わたしにとっての「八乙女光」とは、一体どんな存在なのだろうか。

 

Jr.の頃から知っている彼を好きで居続けること十数年。1人の人をこんなにも好きだと思い続けることができるなんて自分でも思ってもいなかった。

更に、その好きという感情は年々増え、大きくもなっている。一体全体なぜ。

 

光くんに興味を持ち始めたきっかけはかっこいいから、面白いから、きっとそんなことだったと思う。しかし現在ではそんな言葉では表せない程の魅力を感じている。

わたしが光くんを好きになってから現在に至るまで、いろんなことがあった。

 

わたしは高校受験をする時、行きたい高校を受験することができなかった。それは学力が足りなかったなどの理由ではない。周辺の高校の知識をあまり持っていなかった親が周囲が持つ偏見ばかりに耳を傾けた結果、全てを否定された。受験したい旨を伝えた際、そして伝えて以降、とくに反論されることはなかった。1番の仲良しの友達と同じ高校に行けることが嬉しく、一緒に高校生活も過ごせるものだと思っていた。

しかし、恐怖はそれからにあった。シラフではその高校を受験することに関して言わなかった母親が、外で飲んで酔っ払って帰ってきたら、その高校には行くな、(他の高校名)へ行け!と言われる始末。初めは気にせず、自分が行きたい高校へ行く。そうとしか思ってなかった。だが、毎週のように飲んで帰ってくれば怒鳴り散らかすように言われる。帰って来る前に寝ていれば終わる。そう思っていても、恐怖で眠れやしないし、寝たふりをしていても起こされて言われる。本当に本当にそれがきつくて、親が行けと望む高校を受験することに決めた。

その時、唯一のわたしの支えだったのが光くんとHey!Say!JUMPだった。

 

私立はお金がかかるため、行きたくない高校でも合格するしかなかったわたしは、その高校に合格することができた。

決めたからには行くしかない、頑張ろう。

そう思っていた矢先、、

 

入学式の数日前から右目に異変を感じていたが、治るだろうと思っていた。入学式前日、新学期を迎えるならいろんな不調も治しておこう。それくらいの気持ちで眼科に行き診察を受けた。

 

結果として、私は右目が見えない。

治ることのない原因不明の病で右目の視力を失った。大きな病院を紹介され、入学式終わり診察を受け、翌日には脳の検査まで行った。高校生活初っ端から休む羽目になった。

 

頻繁に通院を重ねることになり、学校は休みがち、おかげで友達はなかなかできない。ただ、わたしは1人行動が得意なので、友達ができないことに悩まなかったことが救いだったのかもしれない。

 

手術は計3回、暇過ぎて仕方ない入院生活を支えてくれたのはHey!Say!JUMPのDVD、アイドル誌、ジャニヲタの看護師さんを含む、親切な病院スタッフの方々。

右目が見えなくなるかもしれないことで1番に浮かんだ不安が、もう今後光くんをはじめ、JUMPのみんなをきれいに見ることができないということだった。(片目と両目で見ることにさほど差はないと思われがちだが、右目は光りは感じるため、両目を開くと綺麗に見えることはない)

 

そんなこんなで、高校は卒業でき、大学にも進学できたが、自分でもびっくりするくらい高校生活の記憶がない。中学の時の方が記憶があるかもしれないと思うくらい、覚えていない。高校生活で1、2を争うくらい楽しみなイベントである修学旅行の記憶すらほとんどない。

今では笑って話せるが、それくらい私にとって高校時代が楽しくなかったのかもしれない。

そんな高校3年間だったが、JUMPのコンサートに行ったことは覚えている。初めて複数公演入ることができたこと、コンサートに行くために辛いことも頑張ると自分を奮い立たせていたこと。

 

冒頭に、年々好きという感情が大きくなっていると述べたが、それは光くんが留まることなく進化、成長し続け、どんどん魅力的な人になっているからということは間違いないと思っている。だがそれともうひとつ、光くんを好きになってからの自分の思い出に、光くんやJUMPのみんながいるからではないかと思っている。

思い出が多くなればなるほど、関係性が深まっているように感じ、愛おしくなる。きっとそんな感じだ。

 

わたしにとっての「八乙女光」とは、きっとひとことでは言い表せない、永遠のテーマのように思えた。

アイドルとして、人として、大好きな人として。

 

わたしの原動力はいつだって光くんとHey!Say!JUMPなのだ。

 

 

10年経って

 

2009年3月31日。

初めてJUMPくんが福岡の地でコンサートを行った日である。

それ以降、福岡は割とJUMPのコンサートでは定番の地となりつつあった。

 

2017年に10周年を迎え、これからも何があってもこの9人を応援していく、この9人がずっと大好きだ。

そう思っていた、いや、今でもそう思っていることには変わりはない。

ただ、2018年は何かが少し違った。それは圭人くんの留学だ。

10周年を迎え、これからもグループ一丸となって頑張っていこうな。そんな雰囲気が流れている中、留学という決断をすることは圭人くん自身とてもきつかったと思う。優しい彼だからこそ、色んな葛藤があったと思う。だから、発表があった時、色んな感情が渦巻いたが、彼らが決断したことなら受け止めようと思うことができた。

そんなことがあってからのツアー発表。初めて聞いた会場があれば、西日本は外される始末。10年やってきたグループで大阪、福岡が外されることになるなんて思ってもいなかった分、衝撃が大きすぎた。

 

その後ツアー初日の東京公演で、東京・大阪・名古屋・福岡での4大ドームツアーを行うことが発表された。

 

メディアへの露出が減っていた時も、コンサートは欠かさず行い、ファンと触れ合う機会を設けてくれていたグループ。それ故に、コンサートで育ってきたグループといっても過言ではないと思っている。そんなグループだから、今後アリーナツアーからドームツアーへと移行していくかもしれないということに対し、寂しさを感じている人は少なくないはずだ。

私自身もそのように思う節があった。

 

しかし、今回ヤフオクドームで行うJUMPくんを想像したときに、1万人規模の会場だったグループが5万人規模の会場でもできるグループになったと思うとやはり感慨深く、なんだか泣きそうな気分になった。

 

2009年から10年。

ついにドームに立つ。

初めての。

 

新年を迎えてついに、今年で平成が終わる。

 

そう思った時に、今のうちに何か残しておきたい気持ちになった。

そこで思いついたのがこのブログだった。文章を書くことが上手とは言えないかもしれないが、書くことは好き。だから始めようと思う。

 

Hey!Say!JUMPの八乙女光くんが大好きな拙い女のブログ。

 

初めまして、えんがわです。